Photo 2008.8.13 Up 2008.8.28
By. さわらびY(ゆみ)
2008年8月12〜19日 = ポーランド紀行 フォトアルバム = No.3 8月14日(木) チェンストホーバの「黒い聖母」巡礼 |
INDEX No.1 ショパンの生家とワルシャワ旧市街 No.2 ヴィラヌフ宮殿&ワジェンキ公園 No.3 チェンストホーバの「黒い聖母」巡礼 No.4 アウシュビッツ・ビケルナウ強制収容所 No.5 ヴィエリチカ岩塩坑 |
一路、チェンストホーバへ
ワルシャワからチェンストホーバまで250kmの道を南へひた走る
途中の長距離ドライブ用サービスエリアで
チェンストホーバの街に到着、ランチの後、ヤスナ・グラ修道院へ
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ポーランドの「黒い聖母」巡礼風景
8月15日の聖母マリアの被昇天の祝日は、ポーランド全土から巡礼団が集まる日
その前日の14日、長い道のりを徒歩で来た信徒のキャンプ村もできていました
私たちはバスで駐車場から裏側の参道から入りました。
表側参道はものすごい数の数の巡礼者でいっぱいでした。
老若男女、カラフルな参拝者、若い人は雑魚寝用のシートを持って。
スタッフのシスター そしてスピーカーを担いだ巡礼団の神父さんたち
ポーランド各地から歩いてきたらしい元気な青年たち
そういえば、ワルシャワのどの教会にも、巡礼団呼びかけの大きなポスターがありましたね
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ヤスナ・グラ修道院大聖堂に入堂しました
堂内はひたすら祈る人でいっぱい。壁と手すりの間を歩く人は祭壇の聖母像を拝観する列です
ポーランドの女王、ヤスナ・グラの「黒い聖母」
以前、TVニュースで前のローマのパパ様ヨハネ・パウロ2世が、このイコンの前で祈っておられたお姿を見たことがあります。
チェストホーバの村ができたのは11〜13世紀、そして1380年ピャスト家のオポルチク公により、ここに聖パウロ修道会の修道院ができた2年後、このイコンが寄進され、崇敬されるようになりました。
モンゴル軍侵攻の際は、このイコンを持ち出そうとしたところ鉄のように重くなったという伝説、 また1655年、スウェーデン軍がポーランドを侵略した時、ワルシャワやクラクフまでもが占領されたが、ここだけはスウェーデン軍の攻勢に屈しませんでした。
それはこの「黒い聖母」がもらたした奇跡だと語り継がれ、ポーランドを外敵から守る象徴でした。
憂いを含んだ面ざし、そして頬には2本の傷が残っています。運べなかったモンゴル人が切りつけたとも、1430年に盗賊が傷つけてしまったとも伝えられています。
「アウシュビッツの聖者」コルベ神父の祭壇
聖堂の出口近くの小祭壇に、この日は、コルベ神父の絵が飾られていました。
ちょうどこの日8月14日は、コルベ神父が愛のために亡くなった記念日でした。
コンベンツアル聖フランシスコ修道会であったコルベ神父は、その後アリの街で活躍したゼノ修道士と共に1930年長崎に来て、日本活字による「聖母の騎士」を創刊、6年間布教と教育活動に専念しました。
1936年故国ポーランドに帰国、やがてナチス侵攻により、捕えられて、アウシュヴィッツ強制収容所へ。ここで妻子のある囚人の身代わりとなって餓死監房に下り、餓死刑の死を遂げました。
1939年9月3日、ナチスがここチェンストホーバへ進軍、1945年1月の解放まで、ドイツ軍によるユダヤ人虐殺とポーランド人の悲劇が続きました。
中世から、ポーランドを国難から守り続けた「黒い聖母」。
ヨハネ・パウロ2世も、ワレサ氏も、そして若き日のコルベ神父も、ポーランドの人々とともに、この聖母に特に平和を祈ってきたことでしょう。
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ヤスナ・グラ修道院の主聖堂
隣の大聖堂は、白と金で明るく、天に軽やかに昇るような空間でした
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騎士の間にて
左:この日、「騎士の間」は巡礼団の寝所に解放されているようで、寝袋で休んでいる人もいます。
右:祭壇の「黒い聖母」を正確に模して描かれたイコンを前に、ガイドのアンナさんが英語で丁寧に説明してくれました。
左:祭壇の聖母は、顔と手以外、宝石を散りばめた冠や季節によって変わる衣装で覆われていますが、金の光輪以外はこの姿が元の絵なのだそうです。
右:欄間に聖母の奇跡とヤスナグラの歴史が描かれています。これは最初の絵、ヴラディスラヴ・オポルチク公により聖画が寄進される場面でしょうか
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ヤスナグラ修道院中庭の広場にて
ちょうど野外ミサが終わったところ
明日の大祝日を前に、赦しの秘跡に並ぶ信徒と、ひたすら告解を聴く神父
シスターが日本人の私たちを、言葉はわからないが親しく声をかけて手を握り歓迎してくださいました。
「黒い聖母」は、修道院、そして街のあちこちでも、私たちを見守ってくださっていました。